豊橋年正の考え

日々の考えの垂れ流し

「ゆるゆり」は百合なのか

 コミック百合姫で連載中の漫画「ゆるゆり」。何度もアニメ化されている人気作。私も12巻まで読んだ。本日はこの漫画についての記事です。

 

「特別な人」ではない

 「ゆるゆり」はその名の通り緩い雰囲気の漫画だ。ギャグをやるにしても緩く、イチャイチャするにもギャグが入って緩くなる。そして、そのイチャイチャも"友達"としてのイチャイチャが主で、"恋人"としてのではない。

 「ゆるゆり」は他の友情百合とも違い、"皆でいることが宝物"精神がある。周りの皆が友達で、特別な人を作っているわけではない。では、何故百合漫画と分類されるのか。

 

妄想による補完

 「ゆるゆり」には妄想内では、一般に言われる百合を行っている場合が多い。池田姉妹やちなつの妄想(ちなつの場合ギャグが先行するが)、夢の中など。このような場面では、複数人に渡って平坦な人間関係を2人だけの百合の関係に持ち込んでいる。また、池田姉妹の妄想に関して言えば、"自分は蚊帳の外"な妄想をしており、これは百合漫画を読む読者と同じ立場になっている。漫画の中で百合漫画の構造を作ることで、間接的に百合を見せているのではないか。

 

カップリングの創造性

 作中メインのごらく部、生徒会の誰もが恋人同士でない。つまり、カップリングが確定しているところがない。私はこの点が「ゆるゆり」の一番の魅力だと思っている。

 「ゆるゆり」と同じくギャグ百合漫画である「総合タワーリシチ」は逆にカップリングがガチガチに確定している。この2つの漫画の違いは何か。「ゆるゆり」は、深く踏み入った百合が妄想の中だけな代わりに、カップリングを確定させないことで、読者にカップリングを想像させる余地を与えているという点で新たな価値創造をしている。

 杉浦綾乃はかなり歳納京子に対する感情があるが、これは池田千歳の妄想のネタにするためだと思う。これによるカップリング確定を避けるために池田千鶴による妄想があるのだと思う。

 

まとめ

 「ゆるゆり」は、キャラ、読者の両者による妄想の世界を借りることによって創られる百合漫画。

 

本日はここまで。